2012年1月25日 (水)

心も満たしお腹も満たす

ど~も、ご飯を食べてお腹いっぱいのはずなのに、なぜかもっと何か食べたい。

満腹中枢が反応するのに数十分かかるから、という理屈もあるけれど、それだけでは説明のつかない感じがする。

そんなとき・・・たまたまコープで買って冷蔵庫に入っていたお菓子。

思い出して一口食べてみて「これは!」。

美味しいー!

いや、美味しいだけではなく、何か伝わってくる優し~い感じ。

これきっと、すごく心を込めて作られているのでは?

お客さんに美味しいものを食べさせたいという、そういう気持ちが感じられた。

一気に私の心は満たされ、小さなお菓子だったのに、お腹が物足りないという気持ちが吹き飛んだ。

いつも何か物足りないのは、いつもテキトーなご飯を食べているからなんだろうか?

もっと見た目も味も申し分ない、心のこもった料理を作れば、いつもの「物足りなさ」というのはなくなるのではないだろうか。

ジャンクフードでも食後の物足りなさが満たされたりするけれど、これはまた、濃い味付けや油分が刺激となって、それで満たされた気になれる訳で、なんだか一時的な刺激による誤魔化しっぽい。

本当に美味しい心の込められた料理やお菓子で心から満足する。のが理想だな。

そんな素晴らしいもの、自分で作れないんだけれど・・・。

しかし料理に限らず日々の営みに「心を込める」、ということ、少しずつでも出来るようになっていけたらいいな~~・・・って、私は何年も前からおんなじこと言っているような気がするぞ。進歩がない。

で、このびっくりするほど美味しかったお菓子。

もりもと「ハスカップジュエリー」、北海道のお菓子です。また買おう。

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2012年1月19日 (木)

チビ子卒乳

2歳になったチビ子への授乳をそろそろやめたいと思いながらも2,3ヶ月そのまま続けてきた。

「やめちゃったらかわいそう」と思うのと同時に、私自身も「おっぱいを飲ませればチビ子の機嫌を取ることが出来る」という状態に依存していたように思う。

どこかで断ち切らなくてはいけなかったこのずるずる状態に、やっと終止符を打つ決心が出来た。

そして、先週の土曜日から断乳を開始し、ばたばたしたけれどなんとかうまく落ち着いてきたかな。

チビ子も、ときどき、「おっぱい?」と言いながら、「おっぱい、しゃーしゃん(うさぎさん)、くましゃんになっちゃったー」と一人で納得している。おっぱいに絵を描いて見せる方法で断乳したのだけど、どうしてそれで納得して飲まなくなるのか、不思議・・・

そんなこんなで何日かたって、気が付いたことは、「なんだか時間がある」。

一日のうち、なんだか時間にゆとりがある。

あれ?と思って改めて考えてみたのだが、そういえば今まで、授乳にかなり時間をかけていた。

夜中の授乳を除いて、毎日朝から夜まで大体2時間か3時間くらいおっぱいを飲ませていたんじゃないかと思う。

朝、30分~1時間くらい、昼寝の寝かしつけに30分、夜の寝かしつけに30分、あと日中絶え間なく何かと飲んでいたから合計すると結構な時間。

飲まなくなった代わりに本を読んであげたり遊びにつきあったりが増えたけれど、授乳に比べたら「ずっと」という感じではない。

なんか、ゆとり・・・うわ、すご~~く嬉しいぞー。

私も好きなこともできるし、チビ子も外で遊んだりする時間も増えそうだ。ささいなことだがすごく嬉しい。

断乳当日、チビ子は上のムスメの部屋で遊んでいて、小学校の卒業式のときにつけた「卒業おめでとう」と書かれた花つきリボンを見つけて持ち歩いていた。

うん、チビ子もおめでとう~。

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2011年12月29日 (木)

ラスプーチン♪

上のムスメへのクリスマスプレゼントに、「Just Dance Wii」というゲームソフトを買った。

曲と画面のダンサーさんに合わせて踊るという、シンプルだけど楽しすぎるゲームだ。

父ちゃん、ムスメ、私、3人ともはまる!

踊るのって楽しいんだなー!

いや、全力で踊る機会なんてあんまりないでしょ。得点が出るのでつい頑張って踊ってしまうこのゲーム。当たりです。

入っている27曲の新旧洋邦楽はどういう基準で選んだんだかさっぱりわからないが、中に、Boney M 「Rasputin」という曲が入っている。

これがちょっと思い入れのある曲だったりする。

私は小5から中2までアジアの某国に住んでおり、テレビが家になかったため、娯楽といえば地元のFMラジオを聴くくらいだった。

そのFMラジオで平日の夜9時から30分間、ヒット中の洋楽を流す番組があって、それを毎晩欠かさず聴いていた私。

おかげでその当時の(1978~1980)ディスコミュージックをやたら知っている。

ただ、やたら知っているのは曲だけで、アーティスト名はもちろん、タイトルもわからないものが多い。

後になって誰の曲だったかわかって「そうだったのかー!」となることが多い。

そしてあれから30年。数か月前のこと、たまたま父ちゃんがYou tubeで見ていた音楽ビデオから流れてきたのが当時よく聴いていた曲だった。

これ知ってるーーー!と飛びついたのだが、タイトル見てびっくり・・・「Rasputin」か!!

ラスプーチン・・・帝政ロシア時代に、皇帝を裏から操って政治を混乱させたとされている僧侶である。

ディスコミュージックでまさかの歴史上の人物、しかもマニアックすぎるラスプーチン。そんな歌だったとは!!

この時を経た驚きは、多分わかってもらえまい・・・

言われてみれば、確かにメロディーがロシア民謡っぽいな

そんな驚きの「ラスプーチン」が「ジャストダンスWii」にも入っていた。踊りはきついが楽しいのですっかりお気に入り。思わぬ再会をしてしまったラスプーチンだった。

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2011年12月16日 (金)

「何者?」

上のムスメは今年から中学生になった。ムスメの通う中学校は、生徒の半数以上は、その中学の近くの小学校の出身者で占められる。その小学校の子は別の学校に分かれることなく、全員そのままこの中学校に進む。

残りの生徒は、周辺のいくつかの小学校から来た子だ。

うちはその「周辺」の小学校出身者。少数派である。

で、ムスメと同じ小学校出身の子のお父さんで、PTA活動にとても協力的で積極的な人がいるのだが、やはり、中学でもPTA活動を引き受けてくれた。

さすがだねぇ~と感心していたのだが、ムスメの友達(同じ小学校)のママが先日、中学のPTA活動の中心になっているお母さんたちに「○○さん(そのお父さん)って、何者??」と聞かれてしまったのだそうだ。

ここの中学校のPTAは、以前から、かなり濃いめの性格で熱心な人たちがずっと仕切っているという、そういうものらしい。詳しく聞かなかったが、おそらくその「多数派」小学校からのつながりだと思われる。(下手すれば、さらにこの近くの公立幼稚園の頃からのつながりという可能性もある。)

他の小学校出身の誰だかわからない人が手を挙げて積極的に活動し始めたら、不審がられてしまうようだ。

大抵の人がやりたがらないPTA活動を積極的にしてくれる方たちの存在はとてもありがたいが、知らない人が来ると「何者?」と聞いてしまうのは、だいぶ排他的な状態になっていると思われ、少々危険な香りがするな。

いや~私ここのPTAと関わりがなくてよかった~と胸をなでおろしてしまった。

しかし、「何者?」と聞くこの人たちは「何様」なのか、ちょっと見てみたい気もするけどね~。

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2011年12月 8日 (木)

自然のあるところで

子どもの頃に好きだったことというのは、なんとなくそのまま宝箱にしまいこんでしまって、その箱は少々ほこりをかぶりながら、開けたら壊れそうな気がして開けられなくて・・・という感じで、自分の心の奥底にずっと眠っていた。

開けちゃっていいんだよ。

と、最近になってようやく思うようになった。

小学生の頃、紙に「理想の家」の絵を描いた。でも、家はどうでもよくて、メインは「庭に何の木を植えるか」だった。

図鑑を見ながら、野鳥の好む実のなる木を、その家の絵の周りにいっぱい描いていた。野鳥が集まってくるような、自然豊かな庭の中で暮らしたい。東京の片隅で、小学生の自分はそんなことに憧れていた。

野鳥や植物、それを含めた自然というものがとても好きだったようだ。

小さな自然をじっくり見るような、そういう形での自然観察が好きだった。

どうしてそれを封印して、ずっとそのままにしてしまったのだろう?

他に興味が移ったから?何の役にも立たないから?そんな話しても誰とも話が合わないから?・・・理由ははっきりしないが、興味はあるのに遠巻きに眺めるばかりで、正面から向き合うことはなかった。

最近やっと、自分がそういうのが好きだということを再確認し、「好きでいていいんだ」、そして「そこんとこ、どんどん追及していいんだ」とようやく自分で思えるようになった。

そして、周囲を見渡せば、この辺りは意外と豊かな自然があったりする。

気づいたらあとは行動するのみなのだ。関われるだけ関わって行こうと思ってからは、とにかく動いている。それに付き合わされるチビ子・・・ま、楽しそうだからいいか。

自然をただ楽しむだけではなく、一歩踏み込んだ積極的な関わりをすることで、なんだか自分の中で眠っていたものがどんどん目を覚ましていきそうな感じがする。

さて、自分はどこまで行けるだろうか?

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2011年12月 2日 (金)

「にしゃい」のチビ子

チビ子は現在2歳とちょっとで、毎日元気。そして、しゃべる。

まだ何を言っているかよくわからなかったりもするが、それでもそれなりに言いたいことを言うことが出来る。

よその人に「いくつ?」と聞かれて、すぐには答えないので私が「2歳です」と言うと、そこで初めて「ここは『2さい』と言う場面だ」と気づき、「にしゃい!にしゃい!」と主張し始める。

手で「2」を作るが、うまくチョキができずに、親指も立っているので「2」にはならない、中途半端なにしゃいである。

いろいろ言葉を覚えてきたのだが、うっかり間違って覚えてしまったのが「あったかい(温かい)」。

「あっかたい」

と言う。

こたつに入って「あっかた~い」

ほかほかのご飯を食べて「あっかた~い」

最近は父ちゃんや上のムスメまで「あっかたい」と言うように。ウチの流行語大賞になってしまった。

あと、先日クリスマスツリーを出したのだが、飾りつけを手伝った?チビ子。

昨日、新しい服を買って、服についていた、綿100%とか書いてあるヒモのついた札を外して置いておいたら、チビ子がそれを持ってどこかへ行ってしまった。

あとでクリスマスツリーを見たら、その札がツリーに飾り付けてあった!!

上のムスメのときもそうだったが、2歳のころがいちばん、やることが天然でおかしい。3歳になると、ちょっとカシコくなってきちゃうんだよね。

そんなチビ子、得意技は、よそでいきなり知らない子と一緒に遊べること。元気よく遊んでいる小さい男の子などを見かけると、だだっと走り寄って、一緒になって走り回り始める。子ども同士ってしゃべれなくても遊べるんだね~~。

そういうのは人見知りだった上のムスメのときは全くなかったので新鮮だ。

久々のチビ子ネタでした。

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2011年11月21日 (月)

宗教、スピリチュアル

先日、知人がうちに遊びに来た。彼女とのおしゃべりはとても楽しかったのだが、帰りがけに、彼女が信仰する宗教団体の宣伝が始まってしまった。その宗教団体のDVDを渡されそうになって慌てて固辞。

興味ないよ~宗教をやるつもりは一切ないよ~ということを主張しようとして、「いや~、私、スピリチュアル系が好きで、そういうの信じてるから!宗教とは全然違うんだよね!」と言ってみたところ、「スピリチュアルってどういうもの?」と聞かれてしまった。

・・・説明できない(汗)

結局思いつくまま支離滅裂な話をしてしまったが、「(その宗教と)共通することがありそう!」とますます食いつかれてしまい、失敗(汗)

後から、そういえばスピリチュアルってなんだろな、と考えてみたのだが、「宇宙(「神」と同一の意味での)」、「魂」、「波動」、「エネルギー(「気」)」、といった概念を、当たり前のものとしてナチュラルに受け止められる状態がスピリチュアルなのかなあ。

・・・そういえば、なんだろね??こういう話、すごく好きなんだけど・・・

彼女には、その宗教にいかに自分が救われているかを語られてしまったが、彼女は宗教の持つ落とし穴に気づいていない。

彼女の宗教ではその教えに従うことで、自分の至らなさに気づき、より成長することができるようなのだが、そこである。

ありのままの自分を認め、満たされた気持ちで生きている人には宗教は必要ない。

そうなってしまうと、皆宗教が必要なくなって離れていってしまうので、絶対に宗教は信者をそのような満ち足りた気持ちにはしないだろう。常に、宗教の「教え」が必要な状態に、信者はとどめられる。宗教をやっている限り、人は永遠に幸せになれないと思う。

私はスピリチュアルを説明できないが、その点が自由であることだけは、宗教との違いとしてわかる。

宗教を広めようとしている人と議論してはいけないという原則(「話が出来る」と思われてしまう)をうっかり忘れてしまったので、また続きがあるかもしれない。ひゃ~~~

今度彼女が来るときは、「そういう話はしない」という約束を取り付けてからにしようか?

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2011年11月17日 (木)

資源ゴミの日

資源ゴミの日、各集積所に「びん」「缶」「不燃物」などを入れる集積箱が前日に配布される。

当日は、その重ねられている箱を並べて、資源ゴミをそこへ入れる。箱を並べるのは一番最初に出しに来た人。ちょっと面倒な作業。

普段の燃えるゴミの日は、朝7時前にゴミを出しに行くと、すでに10個か20個くらいのゴミ袋が出されているのだが、資源ゴミの日は、同じ時間に行っても誰も出していない。

皆一番乗りになりたくないのだろうか???

人間ってそんなものかもね。

そんな大した作業かな~と思いながら今日も箱を並べる私だった。いや、私は全然いいんだけど、面倒なことからは逃げて他人にやらせようという人って、意外と多いんだな~と改めて思った。

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2011年11月14日 (月)

趣味の世界へ

「くまのニットバッジ」というものを見て、

「わあ、かわいい!」と思ったらすべて「完売」になっていた。

ちょっとがっかりした次の瞬間に思ったことは、

「これ私作れるじゃん」ということだった。

編み物は前から好きだが、特に細かい模様編みがすごく好きだ。

それで、突如、久々に編み物を始めてしまった。

チビ子に振り回される毎日の中でも、ちょっとした空き時間というものはあるのだ。「チビ子が小さいうちは編み物なんかできない」というのは思い込みでしかない。

P1070629 ちょっとずつ余っていた毛糸を使って、チビ子のニットの帽子作成中。ただ編むだけではなく、こういう編み込み作業があるのが好き。模様を計算しながら形にしていくのが面白くてしょうがない。

それにしても、編み物をする間は時間を忘れ、没頭してしまう。

「時間を忘れて没頭できるもの」というのは、その人が天から授かった才能であるので大切に生かした方がいいのだそうだ。自分からしてみると、たいがいそれは自分にとっては当たり前すぎるので何の価値も見出せなかったりするのだけど、他人から見ると意外とそうでもなかったりする。

編み物、続けようかな~と思ったのだった。

時を同じくして、父ちゃんも最近、自分の趣味の世界へ回帰している。

ここ数年、父ちゃんはすご~くお仕事頑張っていたのだが、頑張りすぎて必要以上に認められてしまったのか、よその部署からお呼びがかかってしまった。来春の転勤がほぼ決定である。

転勤が嫌で、今のところに「なくてはならない人」になろうと頑張っていたのに、まったく逆の事態に・・・

その話が来て以来、父ちゃんの生活が、仕事ではなくもっと自分の暮らしに目を向けるように変わってきたような感じである。思うところが山ほどあったのだろう。

で、父ちゃんの趣味の世界はなんなのかというと、一言でいうと「戦(いくさ)」。

歴史上の戦、戦国時代や幕末も詳しいが、もっとやたらと詳しいのが「太平洋戦争」。

私にはまったく理解できない世界である。

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2011年11月 4日 (金)

数字の「1」

つい先日は2011年11月1日。来週には2011年11月11日という日がある。

そう、「1」ばっかり。

ドリーン・バーチュー著「エンジェル・ナンバー」によると、

「1」の表すところの意味は、

「これは二進法の数字です。あらゆる数字が1で割れます。

 私たちはみな一つであり、よって、誰もが思考を通じて結びついています。

 考えることに注意し、恐れではなく、望みの方に意識を集中させてください。」

さらに、「111」になると、

「エネルギーの通り道が開きました。あなたの思考はすばやく現実となります。

 この時期、思考を賢く選ぶこと。

 思考が願望と確実に一致したものであるようにしてください。

 恐れには一切エネルギーを費やさないように。

 そうしないと、それが現実化してしまいます。」

と書いてある。

1並びの日は、考えていることが現実化しやすい、のか?

先日の2歳児検診のときの保健師さんの態度を思い出して腹を立てている場合ではなさそうだ。

ましてや、世の中のいろんなことに。

望みの方に意識を集中するということ。

私は一体、どんな自分を、どんな周囲の環境を、そしてどんな世の中を望んでいるのだろう?

頭の中が常に明るく穏やかであれば、そういう明るく穏やかな暮らしが自ずとやってくるということである。私は多分そういう暮らしを望んでいる。

周りの人たちも、恐れや怒りにエネルギーを費やすことなく希望の方に意識を集中していてほしいと思うけど、修羅の道を選んで生きている人はそんな暮らしをそもそも望んでいないかもしれない。

それでも、できる限り多くの人が、恐れや怒りよりも希望や明るさに意識をシフトすることで、世の中が本当にそんな世界に変化する・・・と嬉しい。

そういうの、カラダにも出るからね。生命って、「恐れ」や「怒り」で壊れるようにできている。(ストレスで増えた活性酸素が遺伝子を過剰に傷つけるし、免疫力も下がって病原菌やガン細胞を抑えることができなくなってしまう。)やはりどうも、それが宇宙の摂理らしい。

健やかな暮らしを望むなら、どのように生きるか?

以前に読んだ、「パワーか、フォースか」という本がなんとなくつながってきた。

愛や喜び、受容や意欲などは人に力を与える「パワー」になるが、恐怖や怒り、深い悲しみや罪悪感などは人から生きる力を奪う「フォース」になるという話で、自分がどのような意識でいたらいいのか、「なるほど~」と思わせられる本だった。

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